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素人が理解できないプロに文句を言い、プロは素人の理解できなさに付き合いきれないという、困った状況について

twitterで五輪エンブレム問題をきっかけに書いたことをまとめておきます。

以下の話では「プロ」と「素人」「プロでない人々」を対比し、かつ、プロ側の視点からのお話を色々と書いていますが、それはプロが常に正しいということを意味しません。念のため。また、私はデザイン一般についてはノーマンの著書を二冊読んだだけですので、ドアの引く側には取っ手、押す側には板をつけてほしいですし「高機能」なチューナー・レコーダー等の操作方法は恣意的過ぎて覚えられないので何とかしてほしいのですが、基本的には素朴な印象と思いつきだけです。

 

素人が理解できないプロに文句を言い、プロは素人の理解できなさに付き合いきれないという状況は、ものすごく色んな分野で日常的に繰り返し起きています。地震放射能汚染、火山、法律、教育、経済、防衛、環境、医療などなど、枚挙にいとまはありません。困ったことですね。で、それがいまはどうやらデザインのターンに来たようで。ご関係の皆様の苦労が思いやられます。

温暖化対策研究をする私たちは、科学と社会の接点のところで科学寄りにいるものですから、日常的にそういう場面に遭遇します。「分かりづらい」「難しい」「ちがうっていってる科学者もいる」などなど、よく言われます。そこで、私たちが理解されたいと思うなら、相手を変えることは出来ませんから、相手の言葉で伝えなければ通じませんし、いる場所が違うなら通じるところまでこちらから動かなければいけません。見てるところが違うなら視点の設定から話を始めなければいけません。

プロがプロであるのは、体系化された大量の知識と情報、一朝一夕には見につかない技能、経験のストックに由来する判断の速さ、事象が与えられたときの問題構成能力、解決方法を見つけるための思考パターン、最新の情報・状況の入手ルート、良し悪しの判断基準、禁じ手のリストなどを持っているから。

専門分化した社会では、あるコトのプロはそのコトに取組続けることでよりよくそのコトが出来るようになり、それを実現します。ということは、そうではない人にはそのコトは出来ないし、分からない。専門を持つということは、その専門以外の人々とは異なる何かになるということです。しかしそれが社会の中のいち機能である以上、当然ですが、ソトの人々とのかかわりが発生します。日常的に存在する接点では、異なる専門の機能間をつなぐためのインタフェイスが必要ですから、構築され運用されています。なかみはブラックボックスでも、ともあれ、必要なことは通じるようにする。

ところが、それが、突然大勢の(例えば数千万人の)人々がそれに関心を向けたとき。普段全く接点がなく、知識や常識、行動基準の共通部分さえ小さいような人々が相当(例えば半分とか8割とか)いたりもします。そのような人々から見れば、「プロ」のいうことはさっぱり分からない、かもしれません。しかし「分かりやすく」「噛み砕いた」説明は必ず不正確になります。詳細、条件、例外、複合効果等を省き、専門用語を使わないことで、受け手の知識、認知負荷、思考能力等への要求を下げると「分かりやすい」と言われますが、専門家同士は正確な記述・理解・議論に必要で上記モロモロをしますから。

ある問題をプロはこう考える。素人の多くは別のように考える。もしそうだとして、プロが多くのプロでない人にもプロと同じ結論に至って欲しいのであるとしたら、道は二つに分かれます。結論だけを受け入れさせるか、その結論に至る道をスタート地点から辿らせるか。結論だけを受け入れさせるために使われる主な方策の一つは、印象をよくすることです。この人は信頼できそう、この人のこういうところは好感が持てる、こういう風にする人なら嘘はつかないに違いない、私はほにゃららする人のいうことを信じる、等々ですね。日常的な多くの問題については上記のような人の印象によって判断することで、たいていの場合はうまくいきます。無論私もそういうことはよくあります。そこでこの文脈でも、受け入れさせたい側が、そういう態度を演出するよう努力することで、一定の効果はありそうです。

そこに至るみちをいちから辿らせるのは大変で、プロとは何かということから考えても、ほとんど不可能と思われます。そこで、その論理や知識基盤のうち、とりわけ関係の深いところや、典型的な事例を示すことで、なんとか、辿るとまで言えなくても幹線道路をなぞるくらいは、という取組になります。

プロとそうでない人、と二つに分けましたが、プロの間で分かれてることもあります。よくあります。そして、もしも(仮に二つに分かれているとして)両陣営が広く支持されたいと思うなら、人気取り合戦をしなければいけません。そこで印象改善合戦と説得説明合戦を、これも、よく見かけますね。本気で大勢(例えば5千万人)を説得する気なら、業界上げてチーム組んで本腰入れてPR(パブリック・リレーション)に取り組まないといけませんよ。2008年頃からの温暖化騒ぎ(覚えてます?)で先輩方がそれをやってるのを院生だった私は斜め下から見ていて大変そうだなぁと思っていました。

ところでここでは、プロの側にやりたいことがあり、プロがそれ以外を説得したいという前提で、そのための方法を書いているのです。プロのほうがそれに関して大量の知識・経験・技能を持っているとは書きましたが、それがどのような場合も「正しい」とは、書いていませんよ。それ以外の問題設定をすべきことは沢山あって、例えば先日私は福島県の自治体で役所の方と総合計画について議論しましたが、外部委員でさえない私は参考になる情報を提供しただけです。どう活用するかはそこの人達が決めることですが、問題の技術的内容の理解を手伝うことは出来ます。

修士の院生の頃から国内自治体や諸外国の政府関係者と温暖化対策づくりに取り組んでいますから、温暖化とシミュレーションの「プロ」である私たちと、政策の「プロ」である彼ら、それに本当の当事者である住民・国民・事業者等々が色々やりあいながらよりよいものに、というのが私にとっての日常です。そこでは事前にプロが用意できる「正しい」答えなどありません。そもそも何が取り組むべき問題であるのかを共同作業で見つけることから始めます。ですからこの場合は「プロがプロ以外を説得する」という、先の問題設定は登場しません。

 

 

私が言いたいことは上記で終わっているので以下は蛇足です。

 

件のデザインについて、こんなまとめが出来ていました。

【佐野氏エンブレムのどこが良いか】http://togetter.com/li/868979

 

デザインについて素人の私がそもそも考えてもいなかった(まあそれほど関心がなかったからですが)その果たすべき機能や条件について、上記まとめで言及されている内容を、重複を気にせずちょっと抜き出してみましょう。

・白黒にしても印象の変化が少ない ・小サイズにしてもビジュアルが潰れない

・使われている色数の少ないデザインだと、チェックも簡単

・色数勝負なカラフルなものだとモノクロにしたら大惨事

・細かい図案だと縮小かけたら潰れて悲惨

・どんな写真や風景に入れてもそれなりに映える

・解像度の悪いモノクロレーザーで印刷する可能性を見越した配色

・2色刷りの印刷も考えると、色だけじゃなくて形でもはっきり認識できるデザイン

色盲の人でもわかる

・縦1センチまで縮小されて配置されても可視

・一目見てそれが何かわかる

・ロゴは大きく置いて眺める美術品ではない

・グラデは使うとしても可能な限り最小限

・ぼかしはNG

・新聞印刷に耐えられなさそう

・費用と再現性とシンプルさ

・見たひとが覚えやすくて、あっ、あれだ! ってすぐわかる

・印刷技術が発達している国だけで使用するわけじゃない

・荒い印刷しかできない国の新聞でどうなる

これらのような視点、機能、条件等が実際に重要・必要であるとしたら(多分他にもありそうな気がしますが)そうでなくてはならないということを知らない人は私の言う「素人」「プロじゃない人」です。私は先のまとめ中のツイート程度の書き方で納得しますけど、そうでな人もいるっちゃいるのでしょう。仮にそのような条件等に納得したとして、では具体的にどのような方法であればそれが満たされるのか、その引き出しを持っていなければ、条件を満たすものはつくれません。私は全く持っていないので、先の引用から思いつく具体的方法は「細かい複雑な要素を入れない」「色は4色が上限?」くらいです。

満たすべき要件をその理由とともに知っていて、それを実現する方法を沢山持っている。そうでなければその本来期待される機能を発揮するモノをつくることは出来ませんが、全ての人が全てのことについてそうなることは出来ませんから、専門分化するのが今の私たちの社会ですね。

付随して、一般人がどう思うかが大事、という場面はものすごく沢山ありますが、それでは、あるモノゴトに対して、ある感想・印象・好き嫌いをもった「一般人」とやらは、どれくらいいるのか。「俺は好きじゃない」というのはその人の内心の問題ですから否定のしようもありませんが「『一般人』は『みんな』好きじゃない」というのはより広範囲の事実に関する問題です。何人の一般人のうち何人が「とても好き」「好き」「どちらでもない」「嫌い」「とても嫌い」なのか、教えてくれないと。

これを知ることは、その関連する「一般人」の範囲が広くなればなるほど難しくなります。自動車をつくって売る会社であれば自動車を買う(かもしれない)人を「一般人」として対象にし、その人々がどのような自動車をどう思うか、知りたいと思うでしょう。では国際的総合スポーツイベントが対象とする「一般人」はどこからどこでまででしょうか。世界中全ての人類でしょうか。それよりも狭くていいのでしょうか。住む国・年齢・性別・スポーツへの関与関心の度合い等によって誰の印象をより重視または軽視するかの、重みをつけるべきでしょうか。

その対象を決めることが出来たとして、ではその人達のうちどれくらいの割合がどのように感じているのか、どうすれば分かるでしょうか。もちろん対象に入るすべての個人はその一部ですが、例えば同じ意見を1千万人が持っていることが分かったとしても、反対意見を5千万人が持っているかもしれません。せめてこれくらいのことは考え、反応をそれなりの根拠を持って予測し、必要ならばサンプル調査でテストし、などなどしなければ、私なら恐ろしくてとても対案など出せません。

 

以上、特にまとまっていませんが、twitterで反響があったので転載しておきました。